「宇田川榕菴」が 翻訳に携わった
当時のチョコレートのレシピを再現
長崎の出島のオランダ商館長が江戸へ出向いた際 榕菴が出会った「オランダカルタ」 西洋書物の翻訳事業でカカオからチョコレートを作る製法を翻訳したと言われています。 今も津山に残るそのレシピを、 鏡野町のパティシエが再現しました。 榕菴が手書きで模写したと言われる 「オランダカルタ」をモチーフにした ギフト箱でお届けします。
榕菴の出会った、オランダカルタから発想された
レトロモダンなパッケージ
江戸時代、津山藩の藩医でもあった蘭学者「宇田川榕菴」は、江戸のマルチ学者と呼ばれるほど、 多彩な才能を持ち、西洋の文化に通じていたと言われています。
当時、長崎の出島のオランダ商館長が、貿易の返礼として江戸の将軍への挨拶に4年に一度出向く機会 がありました。 西洋人から直接、西洋の珍しい文物を目にできる貴重な機会に、蘭学者たちが集まったと言います。
オランダ商館長たちが泊まっていた長崎屋という宿所に、榕菴も足繁く通っていました。 そういった中で、当時大変珍しかったトランプに出会ったのだろうと言われています。 本当なら持ち帰りたかったであろう貴重な品。 願いが叶わなかった榕菴は、手描きでトランプの絵柄を写したのだろうと言われています。そのトランプは、「オランダカルタ」の名で今に伝わっています。
榕菴の歴史と浪漫を受け継いで
その榕菴が翻訳したレシピの再現に、鏡野町のパティシエが挑戦しました。
榕菴が手描きで写した、オランダカルタの図柄をモチーフにしたギフト箱に詰め合わせ、 津山藩の歴史を伝えられるよう、西洋の文化に思いを馳せていた榕菴の名を掲げた「榕菴ショコラ」 と名づけました。
江戸時代の蘭学の浪漫と歴史、津山の偉人の西洋へのまなざしを感じていただる商品として、広く皆様に知っていただきたいと思っております。